ここは六月

世界に対する、希望と言いますか、期待と言いますか、春の陽のさんさん降り注いだようなやつが、どことなーくいい香り漂うそいつが、うっちゃられて見向きもされずぐずぐずに腐っていくことが、人生の各局面、中だるみの倦怠のなかで発生することがままありますね。そういうただなかからずぶっと脚を引き抜くために、友もいない恋人もない、若干くすみ始めた街にふらふらと出かけてみます。外は春先とは比べものにならないくらい日差しが強くて、突き刺すというか射貫くというか、部屋に閉じこもりきりの全身に金歯剥き出しで笑いかける豪傑の鼻息、気圧されるときの沈没具合にじぶんの肌のあおっちろさを映し見て、薬局には日焼け止めの陳列、夏は来ぬ夏は来ぬ、裳裾ぬらさぬアスファルトで乙女の時間が焦げてゆく、夏は来ぬ夏は、いつもわたしの夏は、手のなかで明滅する液晶ならびに電子音、プラスチックで囲われた氷の粒と着色料、タオルケットにくるまりながら、エアコンの低いぶーんの唸りをひねもす両耳に流し込んで、鳥肌立てたわたしの内側に波打つ紋様のざらっとした均一な、灰色の硬化した肌触りがわたしの心象風景だから、足あとの入り乱れて黄色く光った砂浜なんて、スマホを一瞬通過すればそれで十分、わたしには、十分すぎる擦過傷。

智恵子は東京に空が無いといふ。ほんとの空が見たいといふ。わたしは驚いて空を見る。空を見て、目を細めて、ああわたしは、空のない東京に来たかった。東京には空がないと思っていた。きっと東京の上空はいちめんの天井で、そこは巨大なひとり部屋で、だから生きてゆかれるとわたしは念願してここに来たのに、東京はきょうも日に照らされて、カーテンもなくて、みんな日焼け止めでべとべとで、それを舐めとってほしくておしゃれしてる、あああほらし、信じられない、おそろしい。ほんとの空が見たいといふ。ほんとの肌が見たいといふ。ほんとの君が見たいといふ。剥ぎ取って剝ぎ取って、つんと匂う幾層をアイスクリームみたいに舌で掬って、自分も相手もどろどろに溶けていって、肌と日焼け止めは混ざって舌で掻きまわされてふたりは繰りかえし繰りかえし何度でも、ほんとの君が見たいといふ。ほんとの肌が見たいといふ。ほんとの空が、そこにあるといふ。わたしは前を向きなおして、ほんとの東京が見たいと思う。天井のある東京で、東京のカーテンに、くるくる巻きついていたいと思う。歩く。歩く。歩く。


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